2015年4月16日木曜日

ちいさな芸術論➌「気韻生動」

 「気韻生動(きいんせいどう)」。

  辞書では「芸術作品において、気高いおもむきがあり、生き生きとして真に迫るさまが表されていること」といった説明がされています。芸術作品の最高の賛辞のひとつと言えます。



 西暦500年前後の、南斉の謝赫(しゃかく)という人が残したとされる『画の六法』の、第1の教えとされています。『画の六法』は以下の六点です。
   
     気韻生動
     骨法用筆
     応物象形
     随類賦彩
     経営位置
     転移模写

 もはや今から千五百年前の中国に出自をみる、この語の厳密な意味は定かではありません。ですから、辞書に載っている意味づけ、学者さんの説明は気にせず、私は漢字四つの音韻から、この語をイメージで受け取っています。

」は、いまは「気持ち」「気分」といった心のあり方を示すことに主に使われますが、古来中国では「いのちを司る、自然に蔓延する、流動するエネルギー」を言った語ですね。
」は「韻を踏む」のイン。「人が発する、特にことばの響き」といったところでしょうか。
」は草木の生え出たかたちを象形した文字からはじまり、「生まれる」「生きる」といのちの表れ、動きをストレートに伝えます。「」は荷物を背負った人にちからが働いてうごく」の字です。そして「生動」は「いきいきと動くさま」となります。

 いまのわたしにとっての「気韻生動」とは「ある種の充溢(じゅういつ)感、瑞々しさの形容」です。
 たとえば、タッチが流動感とリズム感をかたちづくり、全体としてハーモニーを感じさせる絵―。わたしにとってそう感じさせる作品は、たとえばポール・セザンヌ(1839~1906)のいくつかの風景画と静物画です。あるいはまた、雪村(1504?~1589)のいくつかの水墨です。
 
 絵は「何が描かれているかではなく、如何に描かれているか」が大切だと考えます。「気韻生動」は明らかに「いかに」のほうの体験要素です。


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 実は、この語「気韻生動」が本アトリエ名の由来です。・・私自身が制作のうえで大切にしたいという思いでいたところ、ある日ふと《金星・堂》という当て字を思いつきました。本アトリエは仙台市太白区にありますが、この「太白」は古代中国では「金星」を指したことも背中を押しました。
 気韻生動の名のもとに―、ゆったりとしかし真摯に、自分の「いきいきした」表現を求める制作のお仲間をつのります。


畠山宗季 「八月、太白山」 2008 水性インク


ちいさな芸術論➋「詩情と芸術と」

 今回は、詩人・谷川俊太郎氏(1931~)の『詩はどこへ行ったのか』というインタビュー記事 (朝日新聞・2009年11月25日、オピニオン欄)にふれたいと思います。


人間を 宇宙内存在  社会内存在 が重なっている と考えると分かりやすい。生まれる時、人は自然の一部。宇宙内存在として生まれてきます。成長するにつれ、ことばを獲得し、教育を受け、社会内存在として生きていかざるをえない。

 氏の語る人間の存在性は「二重の円」として思い描けるでしょう。内側にある円が「社会内存在」、それを包む大きな円が「宇宙内存在」。わたしたちはそうした二重の存在である、というのです。
 続けて詩人は、散文(=日常生活で使っている書きことば、話しことば)との違いについて、わしづかみに語ります。

散文は、その社会内存在の範囲内で機能するのに対し、詩は、宇宙内存在としてのあり方に触れようとする。言語に被われる以前の存在そのものをとらえようとするんです。
秩序を守ろうと働く散文と違い、はことばを使っているのに、ことばを超えた混沌にかかわる。

 ここでの「宇宙内存在としてのあり方に触れようとする」詩とは、絵画、音楽・・・あらゆる芸術的な創作に置き換えられると思います。
 だから芸術の本質は、けっして「現実からの逃避」なのではなく、現実-日常-社会的な時間・空間を超えて、宇宙的な時間・空間につながる、存在をかけた純粋な営みです。


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『詩』には、二つの意味がある。詩作品そのものと、ポエジー詩情を指す場合です。詩情は詩作品の中にあるだけではなく、言語化できるかどうかもあやしく、定義しにくい。
でも、詩情はどんな人にも生まれたり、消えたりしている。ある時には絵画に姿を変え、音楽となり、舞踊として現れたりします。

ぼくが生まれて初めて詩情を感じたのは、小学生の4年生か5年生くらいのころに、隣家のニセアカシアの木に朝日がさしているのを見た時です。生活の中で感じる喜怒哀楽とはまったく違う心の状態になった。美しいと思ったのでしょうが、美しいということばだけで言えるものではなかった。自分と宇宙との関係のようなものを感じたんでしょうね。

 私は《 詩情(ポエジー) はあらゆる芸術の種(たね) 》であり、詩情はあくまで自分の、外の世界とのかかわりの中に見出されるものだと考えます。




 

こども教室*活動記録➋「2014子ども教室展」



 昨年10月、仙台市青葉区の商業ビル《クラックス仙台》の展示スペースをお借りして、在籍者17名の、約2年間の活動のなかから選んだ作品群を展観しました。




出品した絵画的テーマ:
・「20年後のぼく・わたし-将来のしごと」
・「セロファン仕立ての ステンドグラスもどきの窓飾り」
・「粘土板にきざむ、そして紙に写す 名画の模写」
・「正方形のいろどりマンダラ」
・「光景イマージュ、遺跡写真のカケラから」
・「スケッチ; 静物/動物/植物/手腕/結び目」
・「色紙によるコラージュ・色の重ね目―四季」
・「色紙によるいろ編み」  などなど

出品した工作テーマ:
・「木で作る 振り子飾り」
・「段ボール主材の 小さな部屋/ハウス」
・「張り子和紙の まねき動物」
・「型紙からのデザイン どうぶつ紙バッグ」
・「紙容器を主材とした 白い宮殿」


 はにかみながらゆっくりと会場をめぐる子、ニコニコしながら自分の作品を親御さんに紹介する子・・・。お子さんたちがご家族で展示を味わってくれていることを感じると、準備のためのひと月が報われた気がしました。

 私自身、テーマづくりと指導の奥行きを反省させられるとともに、今後のテーマづくりにとって大切にすべきことを気づかされる、貴重な一週間でした。

一般教室*活動記録➋「2014一般教室展」


 在籍15名がひとり3点ほどの出品で、日頃の制作を展観。昨年6月、仙台市青葉区の商業ビル《クラックス仙台》にて開催しました。
 壁面を埋めたのは、油彩、水彩、アクリル、水彩  静物、風景、肖像、イメージ・ドゥローイング。さらに、絵本、小屏風絵、紙灯籠、張り子、動物摸刻、モビールもありました。

 作品をつくること-表現には「おもてにあらわす」意志が内蔵されています。こうした展観を通して、自分の作品を客観的に見直す機会になります。そうして自分の制作の「課題」を見出したり、これからの「制作目標」を思い描くことができます。
 また、ともに展示するアトリエのお仲間の作品にふれることで、さまざまな気づきや刺激を受けることにもなります。そして、外部のお客さんからの感想も嬉しいものです。
 





 
 


2015年4月8日水曜日

一般教室*活動記録❶「H.S.さんの風景画」

 本アトリエの「一般教室」は同じ開講枠に、生徒さんそれぞれの画材・様式・テーマで制作を進めていただいています。水彩で静物画の方もいれば、アクリルでイラストの方もいれば、油彩で名画の模写の方もいる、というかたちです。


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 H.S.さんは昨年は、水彩とアクリルで「風景画」にいそしんでおられました。お住まい近隣で見つけたモティーフ:川辺や道野辺の情景をスケッチをして、アトリエで《デッサン補強》《明暗バランス調整》などの肉付けを加える制作をしました。昨年6月の「教室展」にも3点の水彩・アクリル画を出品。

 H.S.さんはゴッホをこよなく愛する人でもあります。独・タッシェン社のどっしりした『ゴッホ全集』をアトリエに預けています。これまで、星空の『夜のカフェテラス』、赤と黄の鮮烈な『夜のカフェ』などを模写制作しました。


 以下はアトリエにいらした際、断片的に聞かせていただいてきたことです。― 絵は3年前から始められました。お若いころは、各地の険しい山を選んで登り、何度もクライマーズ・ハイを体験したという、登山を趣味とされていた肉体派だったそうです。
 実は、3.11大震災で、H.S.さんは津波にご自宅を流される、大変な体験をされたおひとりでした。幸いご家族はみなさんご無事だったとのこと。・・・壮絶な被災体験からの数か月間のうちに「「絵を描きたい」という衝動が沸き起こったのだそうです。
 
 満を持して、3か月前から油彩を描きはじめました。いまは油彩2点目として、ゴッホ『アルルを望む、花咲く果樹園』を模写しています。ゴッホの彩色のレシピを探しながら、油彩の混色についての試行錯誤を楽しんでおられます。
 いずれはご自身のモティーフで油彩風景を描かれることでしょう。


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 絵の学びは模写にあり―。私は、心惹かれる名画の模写をお勧めしています。先人の「構図」「色使い」を学べるからです。
 より深い模写は、作者の制作を辿ることになります。技法とともに、作品の時間的な「構造」をひも解く、実にスリリングで楽しい体験です。

 そして模写は内面的には、心惹かれたその作者との無言の対話です。それはクライマーズ・ハイと瞑想の間にある、日常を超えた「無我」の体験にもなります。





2015年4月7日火曜日

こども教室*活動記録❶「万華鏡/百色眼鏡/カレイドスコープ」

 テーマごと、その日の活動の流れ(制作プロセス)のなかに、「驚き」と「先が読めない展開」と「意外な飛躍」をつくることを検討します。こども教室の活動の理想は「最後までわくわく感のある、こころの冒険の旅」であると思います。


 今回【3月最終週】は、あらかじめ予定表で「手づくり万華鏡」と明示しました。しかし、こどもたちには結果の作品を見せず、各自が予想-想像する余地をのこして、おもむろに部品の形成、組み立てに入りました。最後にのぞいたときの「驚き」「感動」を期待しての展開に割り切りました。

 万華鏡は、像を写すミラーを入れた円筒胴体部と、色模様をみせる「具」を入れた先端部から成立します。

①胴体と先端部の境目に使う、円形中ブタ〔硬質・塩化ビニル板〕の切りだし
②像を写すミラー部品の組み立て(三角柱)⇒今回はA材をB材で包む二重構造に
   ・・・A.中ミラー〔硬質・塩化ビニル板〕 B.外ミラー〔銀色工作用紙〕
③ミラーを胴体に差し込む
④先端部に入れる ビーズ、セロファンの「具」のセッティング
⑤試見、調整
⑥胴体と先端部の貼り合わせ
⑦仕上げ; 胴部の表面装飾・・・以前の制作「染め紙」を貼る



 万華鏡は上方に向け、胴を回しながら片目で見ます。自分が気に入った像も、わずかな動きで、一瞬にして中の具が移動して、ちがった色模様を形づくります。回し続けるかぎり、止めどなく模様は移り変わります。
 自分が制御しきれない、偶発的な一瞬の色模様。万華鏡はわくわくする期待感と、一瞬のはかなさの感とが共存する、美しい題材ですね。
 
 ミラーはもっと精度の良い素材を試してみたいと感じました。また「具」には半透明のビーズ、セロファンを使いましたが、ここは検討の余地ありでした。後日、時間をとってこどもたちと一緒に、具の可能性を検討したいと思います。





 


 

想像力✤私見➋「メタモルフォーゼ」


 わずか1~2ミリの卵からかえったアオムシはそれからの2週間、元気に動き回りながら、4回の脱皮を重ねて、体長3センチまで大きくなります。
 やがてサナギになって身をひそめ、それから1週間から十日ののち、殻をやぶってモンシロチョウの成虫となり飛び立ちます。(成虫の寿命は2週間ほど)
 
 あらためて想像してみると、なんと劇的な変容でしょう。蝶のこうした変態は、古くから私たち人間の内面の成長・変化のシンボルとしてもとらえられてきました。

                       
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 このような自然界での「変化、変容、変形、変態、変身」が、ドイツ語では〈metamorphose 
メタモルフォーゼ〉です。(英語では〈metamorphosis メタモルフォーシス〉)
 これに対して「人為的に変形・変質させる(する)」の英単語が〈transform トランスフォーム〉。(ドイツ語は〈verwandeln フェーヴァンデルン〉)

 ここで「かたち」に関するふたつの語に出会いました―。
 〈トランスフォーム〉に入っている〈フォーム〉は現在一般的にも使われています。美術ではフランス語の語感で〈フォルム〉と使うことが多いですね。(ラテン語語源のようです)
 一方、〈メタモルフォーゼ〉はギリシャ語語源で、夢の神・モルフェウスから派生した〈モルフェ〉からの造語です。モルフェは自然界のかたちに使われました。

 俊英の研究者の方々が峻別された、ふたつの語のニュアンスの違いは以下のようになります。

 フォーム ⇒ 固定した/静的な 姿・形 (結果としてのかたち)
 モルフェ ⇒ 流動・変化する/動的な 姿・形 (形づくられる過程全体としてのかたち) 
 
 私たちの想像力そのものが、後者の〈モルフェ〉の質をもっている、自然界と切り離されてはいない能力、エネルギーだと気が付きます。

                       
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 『若きウェルテルの悩み』などのドイツの文豪・ゲーテ(1749~1832)は、もう一つの面では自然研究者でもありました。
 自然界の色彩現象についての観察研究『色彩論』や、植物や動物の内的な構造を研究した「モルフォロギ―(形態学)」を遺しました。ゲーテはメタモルフォーゼモルフェに着目し、人間の想像力と智の関連性を探求した、近代の巨人でした。

 ゲーテの遺作『ファウスト』(詩劇)は、まさに人間の魂の遍歴、魂のメタモルフォーゼの軌跡をダイナミックに描いた作品です。(台詞のなか随所に、ゲーテの直観的な宇宙観が示されています)
 実は、手塚治虫氏(1929~1989)はこの『ファウスト』を、生涯で最低2回、漫画化しています。(2度目の『ネオ・ファウスト』は手塚氏の未完遺作となりました)

 手塚氏の70年代初期の漫画・アニメ作品に『ふしぎなメルモ』があります。主人公の少女・メルモが青と赤の(魔法の)キャンディーによって、大人や赤子に「変身」するというモティーフで描かれています。―この主人公の名は「メタモルフォーゼ」からつけられたものと推測します。

 手塚氏が巨人ゲーテに共感し、生涯インスピレーションをいただいていたことがわかります。