辞書では「芸術作品において、気高いおもむきがあり、生き生きとして真に迫るさまが表されていること」といった説明がされています。芸術作品の最高の賛辞のひとつと言えます。
西暦500年前後の、南斉の謝赫(しゃかく)という人が残したとされる『画の六法』の、第1の教えとされています。『画の六法』は以下の六点です。
気韻生動
骨法用筆
応物象形
随類賦彩
経営位置
転移模写
もはや今から千五百年前の中国に出自をみる、この語の厳密な意味は定かではありません。ですから、辞書に載っている意味づけ、学者さんの説明は気にせず、私は漢字四つの音韻から、この語をイメージで受け取っています。
「気」は、いまは「気持ち」「気分」といった心のあり方を示すことに主に使われますが、古来中国では「いのちを司る、自然に蔓延する、流動するエネルギー」を言った語ですね。
「韻」は「韻を踏む」のイン。「人が発する、特にことばの響き」といったところでしょうか。
「生」は草木の生え出たかたちを象形した文字からはじまり、「生まれる」「生きる」といのちの表れ、動きをストレートに伝えます。「動」は荷物を背負った人にちからが働いてうごく」の字です。そして「生動」は「いきいきと動くさま」となります。
いまのわたしにとっての「気韻生動」とは「ある種の充溢(じゅういつ)感、瑞々しさの形容」です。
たとえば、タッチが流動感とリズム感をかたちづくり、全体としてハーモニーを感じさせる絵―。わたしにとってそう感じさせる作品は、たとえばポール・セザンヌ(1839~1906)のいくつかの風景画と静物画です。あるいはまた、雪村(1504?~1589)のいくつかの水墨です。
絵は「何が描かれているかではなく、如何に描かれているか」が大切だと考えます。「気韻生動」は明らかに「いかに」のほうの体験要素です。
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実は、この語「気韻生動」が本アトリエ名の由来です。・・私自身が制作のうえで大切にしたいという思いでいたところ、ある日ふと《金星・堂》という当て字を思いつきました。本アトリエは仙台市太白区にありますが、この「太白」は古代中国では「金星」を指したことも背中を押しました。
気韻生動の名のもとに―、ゆったりとしかし真摯に、自分の「いきいきした」表現を求める制作のお仲間をつのります。
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| 畠山宗季 「八月、太白山」 2008 水性インク |





